思考が逃げる前に

今日も思いついたことをだらだらと書いていこうと。
今日のテーマは思考と言語。いや別にテーマって言うほどのもんじゃないな。
公平と不公平って、一般的に使われている意味(というかニュアンス)では矛盾しないこともあるなって。公平っていうのは一般的には第三者による判断の正しさという意味合いが強くて、不公平っていう言葉には第三者から享受する事物の格差の不均等っていう意味合いが強いっていうのが俺の主観で、その意味からすると、この社会は公平であるからこそ不公平である(逆も真)とも言えなくは無いなと。具体的に言えば、努力して自己のスキルを高めることでいい地位に就けるというようなこと。不公平な社会とは個々の能力が発揮できる社会と同義だと。なんかH原っぽいな、言ってることが。よく考えたら、公平と不公平を適用する範囲の問題な気もしてきましたが。
あと、努力と労働っていうのは、する内容には違いがそんな無くて、大雑把に言うなら主体的、目的的かどうか、自分にとって生産的かどうかってことだと思った。思考する過程で、それらを混同するのはよくないんじゃないかと。
ちょっと寝起きなんでだらだら書きすぎました。許してください。

ここに書いたようなことも、明日になったらたぶん忘れてるわけで。そういう意味(つまり継承)でも言語ってすごいよね。

話は変わりますが時間って偉大ですよね。ある程度上のほうに閾値はあるのかもしれませんが、ある程度の悲しみや憎しみ、もちろんネガティブな感情に限定する必要はないのですが、そういったものを薄れさせる効果。逆説的に言えば、そういったことを忘れるために、脳は時間経過によって忘れるという機能を獲得したと見ることも不可能ではないのかもしれません。進化論的ですね。もしかしたら人類は、見たこと聴いたことを全て覚えていることができたのかもしれない。NHKとかにありそうなタイトル。

村上春樹を読む11月末日。