寝言
※あくまで寝言です。危ないことが書いてあるかもしれませんので注意してお読みください。
寝なきゃいけないのに目が冴えて寝れない、、、
最近よく宗教の正当性・不当性について考えるんですが、それについてだらだらと。先に言っときますが私は無神論者(別に主張はしないけど)です。
個人的には厳密な意味で宗教に入ること、入った人に対する嫌悪感はないんですが、やはり政治的な要素とか右とか左とかの主張がからんでくるとちょっと変な気がしないでもないです。とは言っても宗教ってのが何らかの価値観を強制(あるいは説得)する以上そのファクターは無視できないわけで。
なんで嫌悪感を抱くかといったらやっぱり自分の中に民主主義に対する信頼というか、議論あるいは討論に対する信頼があるのかなと。無条件で何かを信じるのに嫌悪感を抱くというか。
あとやっぱ勧誘の話とか聞いてるからなのかなぁ。嫌悪感を抱く自分が勧誘される様を想像してさらに嫌悪感を抱いてるのかも。嫌煙家の喫煙家への思考みたいな感じかな、家で吸ったり、煙草うまいよって言う分には構わないけど目の前で吸うなと。
ここらへんまで書いてちょっと眠くなってきた。
そのつながりで公明党と創価学会について。この問題は石井一議員の国会質問で記憶に新しいんですが、いまいち実感が沸かないのが、公明党の議席は衆参合わせて7%ほどなんですが、その割にはいままで創価学会の信者(信じている人という文脈で)って人に会ったことがないんですよね。いや、たぶん知らない間に会ってるんだろうけど。一回勧誘されてみたいですw(こんなこと書いて大丈夫なのか俺)
神ってのは、要は信じることで何らかの報いなり救いなりを与えるシステムのことを指すっていう思考が結構前からあって。免許合宿のあたりにJ師匠と話したりしたんですが。神ってのはシステムだと考えるとすっきりするなと。
あと仏教について、日本の仏教が様々な宗派を受け入れてきた過程を振り返るとオウム真理教を仏教として認めざるを得ないみたいな話が面白かった。
カルトっていう単語って元からネガティブなニュアンスがあったのかなぁ。
あれ、眠くなくなってる、、、
こっから話は変わって。
最近どうにも右よりな思考なんよ〜とかいう危ない話をするんですが、なんで右の方の話のが馴染むのかちょっと考えてみたところ、結局俺って自分大好きだからじゃん?って気づきました。
超極論で言えば、世界のみんなが正しいと思ってることより俺が正しいと思ってるかどうかが大切だ、みたいな。
この思考がナショナリズムとかに合うのかなと。いや、別に主張したりするつもりはないんで。危なくないんで俺。
Windows Vista SP1 RC1 配布開始 - Engadget 日本版
こんな記事が。
2000が出たときも、XPが出たときも、大体最初はだせーと思ってるんですが、SPが出る頃になってだんだん乗り換えたくなっていくパターン。いやぁ。でもGUIが魅力ならMacに行けばいいのかな、、、いっそデスクトップもUbuntuにしようかな、、、