One sunny day, one fine day

近代麻雀漫画生活:さいんplease.

えぇ、いのけんさん来てたんすか、いやぁ。ちょっと感動した。
たしかにミーコは面白かったですね。

http://news.goo.ne.jp/article/ft/world/ft-20071130-01.html

英語が世界共通語になり得るか、というコラム。なかなか面白かったので。


全然、みたいに、本来は否定のニュアンスが含まれていなかったのに、否定する文脈で使われることが大半だったために否定のニュアンスが固定されてしまった単語を考えてて、尋常、とかもそうかなと思ったり。で、この文を見直してみたら、本来、ってのも結構近いかなと思ったり。本来 X、ってのは、今はXじゃないっていうニュアンスがあるんじゃないかってことなんだけども。まぁまだそうでもないのかな。本来の自分、とかね。


最近、物忘れが激しいというか、必要じゃないことをスカスカ忘れてるような気がする。あくまで気がするだけなんだけども。
ファレイ数列、がどうしても思い出せなくて、既約分数、とかでググったりしてみたり。いやぁ思い出せてよかった。


そういや昨日K尾と、理想的な社会は個がどこまでも個として確立された社会なのでは、っていうことをチラッと話したんだけれども、そこから、人が、ある集団、もしくは団体を代表している、と自覚すること自体が危険、というか全体から見たらネガティブな結果が伴うのではと妄想した。
つまり、想定される危険、というか将来への予測の振れ幅が、当然個人よりは集団の方が大きくなるわけで、しかもこれは非線形的に大きくなるのでは、と思い、それに対する保険として、必要以上のコストとか利益とかを確保してしまう、っていうことがあり得るのではないか、みたいな妄想。あるいは、その集団に対して優しくしようとする分、それ以外に冷たくなってしまう、みたいな。
で、個人それぞれが自分のいる集団に対して責任を持って行動し、また同じ集団がそれを監視、というか見守るというか、みたいな構造だったら結構いいのでは、と思ったり。要はオープンソース的社会というか、souceforge的社会というか。


全く関係はないんだけれど、愛がお金で買える社会ってのは実現可能かな、と考えた。あ、これは、殺人が容認される社会は可能か、みたいな全くの思考実験なんだけれど。
お金をくれる人には愛で返そうみたいなことが常識な社会とかあっても良さそうだけれども。
逆に、お金で買えないと考えられている価値が、お金に変換されるようになっていっても、こういう社会は形成されうるのかな、とか思ったり。
いやでも、やっぱりその価値が一般性というか交換可能性を持っていないと無理かな。そもそも一般性と交換可能性がお金の価値かな、と思ったり。最後の価値はメタ価値w


ΦwΦ<だらだらにゃ〜