マイブーム。私のブーム。

ブームと流行の違いは、前者は一時的なもの。後者は永続を否定しない。つまりブーム∈流行ってことか。そういう文脈でマイブーム。

  • PKU。プログラミングするためにプログラミングしてる気がして楽しい。そういや最近アプリ製作へのモチベーションが高まってきた。K尾麻雀をさっくり完成させる予定。気が向いたら。
  • 部屋の掃除。まさに一時的wそういやさっきキーボードの下から煙草が一本出てきた。自販機の下じゃないんだから、、、まぁラッキー。
  • サムライチャンプルー。アニメ。いや、アニメなんだけどめっちゃかっこいい。ていうか、かっこよさしか考えないで作られた印象すらある。公式サイト→Loading...
  • 剣と魔法の物語。ファンタジー。中世的世界観。そういやロードオブザリングを第3作(最終作)から見てしまった。不覚。


以下駄文。
侍的な価値観。武士道。死ぬことが美徳。
剣と魔法のファンタジーで、国と国、貴族と貴族とかが誇りを賭けて戦う様。
これらは綺麗に書かれるor描かれることが多い。
ではなぜ戦争は綺麗に描写されないのか。もちろん戦争は反対。だけどこれは教育されたことによって築かれた価値観だということは否めない。
何が違うのか。
名誉のためと捉えるか、自己の利益のためと捉えるか。その違いはどこにあるのか。
フィクションとノンフィクションか。でも忠臣蔵百年戦争は史実。別に水戸黄門でもいい。なんで人が人を殺してなんとも思わないのか。
悪人だからいいのか。善悪の区別なんてナンセンス過ぎるって思っちゃうのは俺の価値観?
人対人だからいいのか。兵器をつかったから駄目だったのか。説得力に欠ける。
罪もない人を殺したことがいけないのか。罪がある人なら殺してももいいのか。ちょっと本題からはずれてる。
時系列で近いからか。まだ覚えている人がいるからなのだろうか。あと100年したらどうなるのだろう。
勝てばいいのか。負けたから負の記憶にしたいのか。自己本位だとは思うけれどこの考えは否定できない。戦争に勝った側はどういう価値観を持っているのだろうか。だからアメリカはあんな簡単に戦争に踏み切れるのか。


少なくとも俺は、「戦争ってかっこいいよね」も「戦争っていいことだよ」という意見ですらも否定できる論拠はないように思える。今から5年は50%の暮らしだけど、それから100年以上は300%の暮らしができるぜって言われたら言い返せないように思う。これを今から5年は死亡率が10%上がるけど、それ以降は10%減るんだぜって読み替えてもいい。
歴史は繰り返すなんて言明は過去を見てるから分かるわけで、未来に何が繰り返すか分かったら苦労はしないわけで。円周率をずっと計算していけば任意の数xが現れるっていうのと一緒。別に僕は社会主義ではないですよ。
少なくとも、俺は自分の知り合いが死んだら悲しむ。でもアフリカの難民が死ぬからって言われてもせいぜい1000円ぐらい募金する程度でしかない。論理的には矛盾してるように思えるけど、感情的には納得できるこの感覚を100%肯定するのはまだできない。


だからと言って、反対する意見にも感情的には十分に肯定できるし、論理的にも間違ってるとは言えない。ちょっと論点をずらしてる感あるな。


ただ、今まで生きてきた人の殆ど(もしくは全て)は自分が良いと思って選択したことをしてるであろうわけで、そういう意味では結局民主主義(というか社会主義の反意)ってのは自然な観念なんじゃないのか、とか思ったわけで。適応進化論万歳。自己中心万歳。


昔はよく戦争について考えてたけど最近は考えないなぁ。


と、夜中にふと思った一年後に自分が読み返したらぎりぎり分かるかどうかなことをだらだら書いて、寝る。