君の笑顔はまるで駿傑の変化のように爽やかだよ

駿傑強化週間(今日で終わり)。あ、普段は真面目に駿傑関を応援しております。


今日の朝、風呂に入って、顔を洗おうとしたら無意識の内に歯磨き粉を顔に塗りたくってた。逆はよく聞くけどね、、、まぁ意外とさっぱりしましたよ。ライムミントの香りに。なんだろう、粘性がすごかった。


高校1年の頃から使ってた電子辞書が、ディスプレイの枠がぽっきり折れてしまった。こいつと、数学公式集は未だに愛用してたのでちょっと残念。まぁ新しいのを買うほどでもない。変数名をつける時にわざわざwebで調べるのめんどいんだよねぇ。

プロが作った高いクオリティの壁紙がダウンロード可能なサイト「Vladstudio」 - GIGAZINE

ずっと、壁紙は表示しない派だったんですが、最近は井上雄彦の画集の一枚を壁紙にしてたり。まぁすぐに戻すかもしれん。しかしすごいよなぁ、井上雄彦。たまに名前忘れて、和彦? とかなるけど。

人生の全てはTCP/IPに学んだ:Geekなぺーじ

これの麻雀バージョンを書ける自身がある。というか3年ぐらい前に考えた。c言語でもいけるかな。


何か物を展示して売っている店で、展示しているものが落ちているのを見つけたら、それを拾うのはマナーであることは間違いないんだけれども、社会的な意味での義務と言えるだろうかと考えた。
一般化して抽象化するなら、個人はどの程度社会に貢献され、貢献しているという意識を持つべきか、どこからがパブリックサーヴァントなのか。
何らかのサービスを提供する場所で、サービスする側が丁寧語、あるいは尊敬語、謙譲語を使うのは、それがサービスの一環であるからであって、サービスされる側が上の立場であるわけではないのであって、もちろん明示的あるいは暗示的にそれを売りにしているのならばいいのだけれでも、大半の(俺が経験できる)店というのはそれを売りにはしていないのであって、要はそのことをサービスされる側が自覚しているかどうかの問題なのかな、と思った。
少なくとも、人の多い歩道で煙草を吸わない、程度には義務であるとは思った。


こっからつなげて、煙草を吸う人は社会的弱者なんだから福祉の精神で接してね、ってネタを書こうと思ってたんだけど眠い。